ヴァイオリン発表会

昨年に引き続き、ことしもヴァイオリンの発表会があった。他に大人は出ないのに、息子に「ヴァイオリンを習っている人は全員発表会にはでるんだよ」と言った手前でないわけにはいかず、今年も親子そろって恥さらしをしてきた。

息子は去年私が発表会で弾いたバッハの「ブーレ」。
私はザイツの「学生協奏曲2番 ト長調 第三楽章」。

バッハの「ブーレ」は鈴木の教本の3巻最後の曲だが、息子は実はそこまで進んでいない。息子がやっていたのは三巻の最初の曲だったが、そろそろ発表会の準備をという事になったときに先生が、どの曲でもいいよと3巻の中から選んでいいと言ったので、見栄っ張りな息子は最後の曲である「ブーレ」を選んだのだ。
ユーモレスクとかでもいい曲なのに。

出来としては二人とも昨年よりはましだったとしか、いいようがない。

息子は最初で出だしで転けたので、「あれ」とか声を出しやり直した。やり直した後は一カ所間違えたぐらいで何とか弾けた。
私は右でも左手もぶるぶる震え音はゆがむし音程も悪いし、早い部分は全然指が回らないし、さんざんだったが、ピアノの音は去年より聞けたし、止まらずに(失敗したところも、音が抜けたままにして)なんとか全部弾くことが出来た。

これをしょっちゅう経験しているうちの学生達は偉いなあ。

網膜裂孔!!

この前、息子のサッカーの引率に言った時、フェンスに激突して網膜に穴が空いてしまった!!。
うちの倶楽部にはサッカーの試合の引率者は、シュート練習をしているときに球拾いをするという決まりがある。ゴールから外れたボールを拾うのを手伝ってあげるのだ。試合会場には他のチームもいっぱい来ているので、他にご迷惑をかけないためにも仕方が無い。

この日、外れた球を追いかけて行ったら、フェンスの少し前に貼ってあるネットの枠の部分に気が付かず激突してしまった。フェンス自体は認識していたのだが、フェンスより高く伸びているネットがそのフェンスより少し前にあって、そのネットには気が付いていなかった。脳震盪は起こさなかったが、かなりがつんという感じで、漫画だったら頭から星がきらきらって感じ。

立ち直って気が付くと、左目の左隅の方にゼリー状の水たまりのような物が見える。「あれ?」と思っていると、そのうちにその水たまりからゼリー状の枝が伸びてきて龍のようになってきた。これが視界の上半分を占めるようになり、物が見えづらい。目を動かすとその龍も上下に揺れる。「あ。やば!」そのうちに、今度はその龍のようなのがなくなり、左目全体にゼリー状の物が拡散してきて、左目だけ霧の中という状態になった。

これは眼科に行かなくちゃ。

慌てて、土日に営業している眼科を探す。幸い自宅のある駅から一駅の所の駅前に目医者が有った。コンタクトレンズ屋とくんでいるので、土日も営業している所だった。完全なコンタクトレンズ専門の眼科ではなさそうだったので、そこに行く。

事情を説明すると、眼底検査をしましょうということで、動向を開く目薬を差ししばらく待つ。そして眼底検査をした結果「網膜裂孔」という事が分かる。激突した時に血がでてそれが目の中に飛び散っており、それが私が見た龍の正体。もともとひどい近視なので、飛蚊症はあったがここまでひどい状態の物も「飛蚊症」と呼ぶというらしいことにびっくりした。

この血は徐々に吸収されて行くらしいが問題はこの穴で、このままにして置くとここから網膜剥離になってしまうらしい。ということで、この穴の周りにレーザーを当てて穴の周りに土手を築くという治療をすることになった。
レーザー治療自体は同じように目薬をして瞳孔を開いて、レーザーを当てるだけなので、ひたすらまぶしくてびびってしまうがいたいわけではない。私の場合、あまりのまぶしさに最初体まで動かしてしまい、それは危険だから、頭及び体を絶対に動かさないで下さいと言われ、看護師さんに体を押さえられてしまった。

もともとひどい近視なので、眼球が引き延ばされた状態で網膜も引っ張られており、穴が空きやすい状態にはなっていたらしい。でもたかがあの程度の打撲で穴が空くとは思わなかった。

息子ネコアレルギー疑惑

息子のネコ飼いたい病が高まっている。夏休みに入った直後にひどくなり、段ボールでねこのお家?とやらを作成。哺乳瓶を工夫して箱に付け、水を飲めるようになっている。「これでいつでもお迎えできるよ」と言う。

私もねこをいつかは飼いたいと、ホームセンター併設のペットショップに行っては、ロシアンブルーを見ていた。しかーし。今はダメ。息子には「うちに日本語は話せない人が二人いては困るから、ダメ」と言い渡す。

娘がもう少し大きくなり、ちゃんとネコとも共生できるようなったらいいかも、と言う感じに考えていた。息子の「ネコ飼いたい病」はそれで収まらない。しかたがないので、ネコ喫茶に連れて行くという約束をした。

ところが、調べてみるとネコ喫茶というのは小学生立ち入り禁止だった。子供はネコの気持ちにお構いなく触ったりするから、ダメと言うことになっているのだろう。そこで、「ねこぶくろ」というネコとふれあえるスペースに行くことにした。

そこの中にはトイレが無いので、事前にトイレはすまし、3時間ぐらいは粘るぞという気持ちで入場。最初はなかなか遊んでくれるネコちゃんが見つからなかったが、子猫が相手をしてくれるようになり、楽しんでいたところ、1時間ぐらいしたところで、息子が目がかゆいと目をこすり続け始めた。止めろと行ってもずっとこすっている。とうとう目の周りが腫れ、赤くなりひどい状態に。仕方が無いので、そこを出てトイレで顔を洗わせ、薬局を見つけてアレルギー対策用に目薬を買い、さしてやった。

すると、、ものの10分もしないうちに、あんなにひどかった目の腫れがなくなった。ネコから離れ、ネコの毛などが付いている顔を洗い、目薬。これはネコアレルギー決定でしょ。

しかし息子は認めようとしない。別の原因かもしれないじゃないかと訴える。仕方が無いので、もう一回しばらくしてから、「ねこぶくろ」に行きネコと遊び、どういう反応が出るかを調べようという約束をした。

教員免許更新講習

はあ、やっと終わった。教員免許更新講習。
実は去年の夏一部を受けて、今年必修と選択を一つ取ったのだ。その方が楽だろうなと思ってそうしたのだが、去年考えていなかった事態が発覚し結構大変だった。
去年は息子は3年生。学童があり、夏休みもお母さんは学校があるからと言って学童に行かせていた。娘も保育所があるので、若干時間の延長はするものの昼間の勉強時間と講習を受ける時間は確保できていたのだった。

ところが、今年は息子が4年生。学童はもう無い。学校のプールや参加しているサッカーチームの練習など結構出歩くものの昼ご飯とか食べに帰ってきてしまう。ああ、うっとうしい。

そして朝早くから夜までの講習3日間。仕方がないので、実家の母に来てもらった。ありがたいありがたい。

講習は、聞いていればいい物の、今までほとんど考えたことが無い(ダメ教師の印?)教育基本法の事などがばんばん出てきて、「はあ?」って感じ。専任の先生達はこんなこと考えて授業を組み立てているのかな?私の中ではすっかり意識が大学の方になってしまっているので、指導要領とかろくに見たこともないし、考えたこともない。

民主党が政権を取ったときに、この教員免許の件は改革の一つとしてうたっていたので、自分が教員免許更新講習を受ける日が来るとは思っていなかった。私の友人達は皆ほとんど大学だけで教えており、教員免許は持っていてもわざわざ更新講習を受けていない人が多い。ああ、面倒と思う反面、まあこういう経験も確かに10年に一度くらい必要かもという気もする。しかし、教師相手に教壇に立つ先生達は大変だ。教える技術という点では、研究者である大学の先生より、中高生を相手に日々教壇に立つ先生の方があるかもしれず、同じ教員という立場で批判的に見られることがあることを覚悟しなくてはならない。

パスポート旧姓併記への挑戦3

実家に一番近い出張所で玉砕した私は、県の旅券センターに持って行き申請することにした。まあそれなりの大都市といえるところなので、きっと旧姓併記をしようという人も多いに違いないという希望を持って。

もし、こっちもダメだったら、東京都に出そうかと思った。なぜなら東京都はわざわざ旧姓併記のために事情説明書というのの書式をダウンロードデータとしてホームページに載せているからだ。つまりそれだけ、旧姓併記をしたいという要望が多いのだろう。そこならなれているはずなので、もしダメであってもある程度の情報、例えばこのような書類を用意すれば大丈夫だろうとかいう情報、が得られるだろう。

住民票のあるところでしか、パスポートの申請は出来ないが、もしかしたら、居住地申請という形でお願いできるかもしれないし。

さあ、と意気込んで旅券センターに。

受け付けた女性は「ああ別姓併記ですね」と結構自然に受け答えしてくれた。ただ、、、、。私が書いたパスポートの署名にクレームが。実は旧姓のイニシャルをミドルネームのようにアルファベットでサインしたのだ。そしたら私の手が滑って、左の選を2ミリぐらいはみ出てしまったのだ。担当者によると、とにかく少しでもはみ出ているのは認められないそうだ。そのまま、同じように書き直せば良かったのだが、つい「ここに旧姓の頭文字を入れたんですが、いいでしょうか?」と聞いてしまった。そしたら「旧姓併記が認められるか分からない以上、書かないで下さい」と言われてしまった。しかたなく夫の姓でのサインにした。(聞かなきゃ良かった。きっと気が付いていなかったと思う)

そのこと以外はすんなりいった。淡々と「これは外務省審査になりますので、しばらくお待ちください。ただ添付資料の確認をさせてもらいます」とのこと。

そこで、用意した資料をどういう物か説明した。
1.英語論文(2年前のもの、日本で発行されたジャーナルに掲載)
2.日本語論文(今年になって発行された共著の本の一部)
3.現在働いている学校から出ている旧姓の身分証明書。
4.現在働いている学校からの職務委託書類(旧姓)
5.以前海外に行くときに作った国際学生書(旧姓)
6.海外の国際学会に出席した際に事務局が作った名簿(旧姓ただしスペルミス有り)
7.旧姓併記のお願い(事情説明書)

以上の7点である。

事情説明書には、「私は大学院の途中で結婚して姓が変わったが、研究は旧姓で続けており、大学院にもその使用を認めてもらっていた。仕事先でも旧姓で働いており、論文も全部旧姓で出している。海外の雑誌への英語論文の掲載はまだないが、英語で書いた論文はあり、海外から検索をかけることも出来る。以前海外の国際学会に出たときには、旧姓で作った国際学生証を使っていた。国際学会の名簿では旧姓で(スペルミスはあるが)載っている。今は国際学生証を作ることも出来ず、旧姓での自分を証明する手がない。ホテルなどではパスポートの提示を要求されることも多く、旧姓で宿泊が出来ないといろんな不利益を被る可能性がある」というような内容を書いた。(もっと丁寧な文章でです)

待たされること15分。

でた!審査に通った!!!
やった!!

実家の母などは私が旧姓で仕事を続けていることは知っていても、パスポートぐらいいいじゃないとか、いって私がどうして旧姓併記にこだわるか理解できないようだが、これは私のアイデンティティに関わる問題なのだ。

とにかくあと一週間後にはパスポートが出来てくる。念願がかなってうれしい。

ちなみに参考にしたブログ
http://kokubo.seesaa.net/article/118408219.html

パスポート旧姓併記への挑戦2

さあ、パスポート申請だ。

自分でこれが必要かなと考えた、資料をコピーしてとりあえず実家の近所の旅券センター出張所に持ち込むことにした。私が準備した資料は下記の通り

1.英語論文(2年前のもの、日本で発行されたジャーナルに掲載)
2.日本語論文(今年になって発行された共著の本の一部)
3.現在働いている学校から出ている旧姓の身分証明書。
4.現在働いている学校からの職務委託書類(旧姓)
5.以前海外に行くときに作った国際学生書(旧姓)
6.海外の国際学会に出席した際に事務局が作った名簿(旧姓ただしスペルミス有り)
7.旧姓併記のお願い(事情説明書)

である。基本的に全部の書類(7番以外)はコピーである。

事情説明書は東京都のサイトに載っていた物を参考に自分で作った。

いざ、出陣。

見事、玉砕。。。。。。

うーん、おそらくここの出張所の人は一度もこの手の対応をしたことが無いのだろう。マニュアルを読んでみたが、海外から招聘される様な書類と海外で出した英語論文が無いと無理と判断したとのこと。詳しくは旅券センターに言って聞いた方が、よく分かるだろうとのこと。まあ、県の旅券センターも電車で15分ぐらいで行けるところにあり、まあ大都市と言っていいのでおそらくこの手の別姓併記を扱ったこともあるだろう。

仕方がないので、明日行くことにした。

パスポート旧姓併記への挑戦1

気がついたらパスポートが切れていた。これでは思い立ったときに海外に行くことが出来ないじゃないか!ということで、当面海外旅行の予定も、国際学会への出席の予定もないが、パスポートの申請をすることにした。

そして、申請するなら別姓(というか旧姓)を併記してもらいたい!という野望がむくむくとわき上がり、一月前ぐらいからネット上で流れている情報を収集しはじめた。

パスポートに旧姓を併記してもらえるらしいことは、10年前ぐらいに夫の友人の女性研究者さんと一緒にミュージカルを見に行ったときに聞いた。海外の雑誌などに投稿していたり、海外で旧姓が認知されていると併記してもらえると。その話を聞いてから、次回にパスポートを申請するときには絶対に旧姓を併記してもらおうと、心に決めていた。

所が、あれから10年たっても、私は相変わらず博士号の取得は出来ていないし、海外の雑誌に論文の掲載も出来ていないし、ましてや海外の国際学会からレクチャラーとして招聘されることなどないままだ。

それで半分諦めかけていたのだが、ネットでいろいろな人の体験記を読むと、昔より規制が緩和されており必ずしも、海外の学会から講演者として招聘されるような研究者でなくても大丈夫かもと、希望がわいてきた。

そこで、今の私の出来る限りの、添付書類を用意し、事情説明書を付けてチャレンジすることにした。